筑波最終物語
胎児が最終ハイサイド!?


気が付くといつのまにやらぽかぽかとした陽気である。
しかも いつのまに2002年になっていたんだろう。
そんな事を考えながら よだれをたらし昼寝している妊婦。

妊婦....よく考えるとそれは自分自身の事であった。
うーん、いつのまにオイラは「かあちゃん」になろうとしていたのだ!?
去年の11月 筑波での走行のあとからの記憶がいまひとつ....
これはきっとUFOにさらわれたんだよな、最終コーナーあたりで.....。

人生すったもんだで生きてきたオイラ
「ビバ!赤チャンわたしがママよ♪」と絵に描いたような すてきな妊婦になるには
なにかが、もしも人生や、運命というものを支配しているモノがあるならば
そいつが許さなかったようなのである。

2001年11月14日

その日は 筑波サーキットの走行はLクラス。
ファミリークラスのみであった、いつもならば夫婦で行くのだが
Lのみなので一人で行くことにする。
TOFも近いことであるし、ここらでいっちょさらなるタイムアップをはかりたいとろこだ。
燃えていた、そうあのころのオイラは燃えていたのだ。

しかし 一人燃えてみてもトランポなけりゃどこにも行けない。
なので 急遽トランポを借りることに。
のあんと ありがたりことに借りたトランポにはヘルパーまで付いていたのさ!
わざわざ 千葉から同じ 「絶版同盟 (うるわしの)奥様会」のなおみんちゃんを呼びつけた。

前日より泊まりに来てもらい早朝出発。
さくさくと筑波に到着する。

空気がキーンとはりつめて 痛い程寒いのだが
またもオイラ燃えていた、燃え燃えだ。
「今日は びっと走るでえ〜!一気に三秒縮めちゃうぞお!」
ぐらいの燃え度。

それが いけなかった。

朝一番の走行。
ピロリロリン ピロリロリン
コースインを知らせる音もこころなしか オイラの為になっているかのよう。
じつにサワヤカだ。
この日は知人たちも来ていて 走行もにぎやか。

人質のようなヘルパーなおみんちゃんに計測してもらい
まずは タイヤあっためながら走行。
とちゅうボードをみるも タイムがいまひとつ ベストすら出ていない。
「どうしたもんかの....」

オイラはインフィールドが遅い、とゆーか「そこも」遅いのだ。
なので 最終コーナーをノーブレーキで突っ込みタイムをかせごうとする あやうい走りを得意とする
とてもメイワクなライダーだ。
裏のストレートでR1やら最新鋭がバビーンとかっとんでいくが
最終の突っ込みで 赤いカーテンのようにブレーキランプがつく。
その横から どうりゃとばかりに黄色のちんまいバイクが根性という添加剤をぶち込んで
最終コーナーめがけて突っ込むのである。

R−1000が最終コーナーに入っていった その後ろから入る
「!!」なぜコーナーの真中で赤いランプが付くんだろう....ズラさなあかーん!

その瞬間 フロントが滑った。
ブレを抑えようとした気がする、そっからの記憶がない。

覚えているのは 
いったいどこまで飛ぶんだろう?
いつになったら この回転はとまるんだ?
もう三分ぐらい飛んでるハズだ!
あとは 腰と頭にくる激しい衝撃が計6回以上あったことだけだ。

いったいどのぐらい飛んでいたのか?
まったく息ができない、指1本動かせない。

「名前言えますかー!」「名前は!」
誰だよ叫ぶのは!名前ぐらい言えるわ!.....あオイラ コケたんや!!
筑波のスタッフのおにいさんが叫んでる。
「はあ...言えます みはらです...」
救急車に乗せてもらうのだが まったく動けない 手もあがらない。
担架で医務室まで運ばれた。

まずはツナギを脱がなくてはいけないのだが、少しでも動くと腰に激痛が走る。
いつも筑波でお世話になっているスタッフのお兄さんが
「ああ!この子やったんかー!」ときてくれた、なおみんちゃんも青い顔してすっ飛んできてくれた。
さぞびっくりしたことだろう、すまんです。

「とりあえずツナギ脱がないことには」とスタッフのお兄さんが右腕を袖から抜きにかかる。

バキーン!!と激痛が!!
「ぐげえーっ!」

「ああっ!この子 鎖骨折れてるかも!脱臼もしてるよ!!」
兄さん 違います、あんさんツナギの袖を真下に引っ張ったのでスジを一気に違えたんす....。

「ははっ なーんだ細いから鎖骨でてるだけかあ〜よかったよ!」
いや....たしかに折れてなくてよかったんですけど。

しかし 腰の痛みは激しくなる一方、まったく動けない
骨盤を骨折している可能性が高いのでので救急病院に搬送されることになったのである。
筑波といえば あ.そ.こ♪

U本病院」だー!!

はたして オイラは無事に家族のもとに帰れるのか!