筑波最終物語
胎児が最終ハイサイド!?


病院に搬送される車がピットの前でとまった。
心配そうな顔でかけよってくる某チャンバーメーカーの社長。
心配してくれてるんだー!口は悪いけど やっぱりいい人だあ♪

「あのな!手術する言われたら 速攻で
やめろぉージョッカアー!!って叫べよ!!」
........。
お願い!早く あたしを病院へ連れてって!!


病院に付くとドクターが待機してくれていた。
診察室に運ばれ 腰の痛みを訴えるオイラにドクター一言

「うん、骨盤折れてるね レントゲン レントゲン」いそいそとドクター退場。
レントゲン撮りました それはもうバシャバシャと。
でも どっこも折れてなかった。
シップをおしりに貼られて なおみんちゃんが来るまで病室で待機。

「ぐっ!」
たえがたいほどの膀胱への圧迫感が オイラを襲う!!
でも歩けないのオイラ....ココロをおだやかにし スイスあたりのサワヤカな高原風景を思い浮かべ
意識を飛ばそうとチャレンジ!
しかし そよ風ふくスイスの高原の真中には金に輝く洋式トイレが。
だ、だっ、だめだ....床を這いずるようにして病院の廊下を進む。
地雷があれば ハイそれまでよ〜。
そんなオイラはインナースーツ姿だ。

目指す場所はただ一つ!!
無事到着するもまたも難関.....動けないんだってば。

これ以上は人権に関するものなので とくに秘す。
しかし 人間って窮地には思いも寄らぬ力がでるようにできてるのね。

「人間ってなに?」って思っちゃいました。

なおみんちゃんが迎えにきてくれて 帰路に。
松葉杖を借りてなんとか車へ。
メイワクをかけたなおみんちゃんへをねぎらい 病院名の入ったスリッパをプレゼント!!

自宅に向かう途中 どうやら熱がでてきたようだ、めまいがする、体がしびれてきた。
YRPで連絡をうけてまっていたケンコーに泣き付いた
「頼むから ほんとうの病院につれていってくれ〜」

近所の総合病院で再検査 脳のCT 骨盤のレントゲン。
どっこも異常なし、強度の打撲らしい。
ただ 脳ははっきりしないので数日様子をみて吐き気などがあれば 即再検査とのこと。

みなさん ご迷惑おかけしました。


家の中で松葉杖のオイラ。
一日寝たきり、体は動かないんだけど、口は全開で動く。
ケンコーを召使のように使うが、しまいにあきられて 「放置プレイ」された。

そんな 翌週には 那須サーキットで走行会がある。
これは ずっと前から楽しみにしていたのだ。

当日 家でまたも放置されるところを執念で着いてゆく。
「お願い お願い お願い お願い お願い お願い お願い お願い お願い お願い 」
とケンコーに嫌がられるほど叫びつづけた。
「あかんと思ったらやめとくから!二速しか使わへんから!」とワケのわからんことをほざく。
今かんがえると なんてはた迷惑なことを....海より深く反省。

そして那須到着、なぜかいそいそとツナギに着替える。
だけど いつもの倍以上の時間がかかる。
松葉杖を付きながら 今日のオイラマッシーンGSX−250刀に。
ボロボロのツナギに松葉杖、あんたあバリバリ伝説の「星野アキラ」かい!
暖気もすみ またが.....足があがらーん!またげーん!!
はいずるようにまたがった、それじゃあサイドスタンドを。
右足がつけーん!臀部がいてー!
そばにいた コツート氏にサイドスタンドをはらってもらい ギアを一速に入れてもらう。
おうりゃ!走り出せばこっちのもんさ〜コースインだあ!!

3本走行してしまいました。
楽しかったのは本人だけで 周りはヒヤヒヤもののメイワク者だったことでしょう またも反省。

那須走行も済み またも家で寝たきり状態に戻ったオイラ。
不自由なのは腰の強度打撲によるものだけだったのだか、日を追うごとに気分がわるい。
一日中 眠い、体がだるい。
しかも 吐き気までがひどくなってきた。
筑波で転倒してから数週....転倒時のヘルメットの傷はひどく
なんども頭を打ちつけたことを物語っていた。
脳外科の「頭を打った場合、何週もあとにいきなり悪化することもある」との言葉が ぐるぐるまわる。

「どうしよう....」ケンコーに打ち明ける
また診察に行くことをきめた。

「妊娠してますね」

へっ?誰の子だろう.....いや ちょっと先生まって!
「はい 超音波写真ね ここにいるでしょ」
ナニがいるんすか?
「えーと 今はね五週目かな」
五週間まえからいたってことっすね?
いたんだー!!!!あの時すでにいたんだー!!
あの日あの時あの最終!いたんだよー! 
そーいやオイラ 那須サーキットもぶりぶり走ってたよ!!

もっと大事なことが!思いっきりおなかにレントゲンあててたよ!何十枚も撮影したよ!薬もガンガン飲んでたよ!
あわてて産婦人科先生に事情を説明すると その先生 十秒あまり上を見た後
「うーん それはちょっとね...なんとも言えないねぇ、大丈夫とは言えないなぁ」
ちょっとまって!!あかんって事!?
「おっきい病院紹介するから そこで相談してからまた来て」と紹介状をひらりと手渡された。

翌週 胎児への薬品影響などの権威がいる大病院へ。
結果がでるまでの数週間は 毎日毎日 後悔と自分の愚かさを呪ってすごしたのだ。
知らなかったとはいえ なんてバカなんだ!!自分のアホさかげんがいやになった。
ほんとうは こんなおめでたい事 うれしい事はないのに誰にも言えない。

検査結果の日 ケンコーがいっしょにきてくれた。
診察室に薬専門とレントゲン照射専門のドクターが二人。
まず 飲んでいた薬いついての説明、過去にさかのぼり今までの症例を説明してくれ
一切心配ありませんとのこと。
じゃあ レントゲンは!?
「レントゲンは何百枚でないかぎり大丈夫です」
思わず涙がボタボタとあふれでた。
その後も先生はいろいろ説明してくれたのだが 聞こえなかった。
「赤ちゃんは大丈夫ですよ」がこだまのように
「だいじょうぶ だいじょうぶ だいじょうぶ」と響いてたのだ。

安心とよろこびもつかのま。
その後にくる「つわり」というものの恐ろしさをオイラはまだ知らなかったのである。

まず あったかいゴハンが食べられなくなった。
12月の寒い中 暖房の匂いで吐く。
風呂に入って吐く、冷蔵庫あけて吐く、水の飲んで吐く、他人の匂いで吐く、スーパーで吐く。
もーう なんにもできない、みるみる痩せていった。
街にでて焼肉屋の看板を見て「肉なんか焼いてんやないでー!」と怒り
テレビで鍋のCMがかかれば「鍋なんか見せんなー!」と怒る。
妊婦この時点ですでに発狂してます。
強烈なのが メールチェックをしようとPCを接続し チェックしている数分が耐えられない。
異常な吐き気が襲ってくるのである。
そうしてオイラのHPはいつまでたっても2001年冬のTOFがまだのままだったのである。

そうして布団とトイレの往復だけで年末と正月を迎えたのだ。
明日、明日には 終わっているのか!?いつ終わるんだ!?と病院で栄養剤を注射してもらい
冷えた食パンをかじった妊婦は6キロも痩せていった。

でも 別れはとってもあっけない。
せめて 「おじゃましました」ぐらいは言ってけよ 「つわり」
あの 二ヶ月半にもわたる つわりとの格闘はいったいなんだったのか!?

筑波のあの日から 四ヶ月。
今ではバコっ!ボカッ!と時には立っていられないほどの激しい蹴りをくれる
オイラのオナカの中の居候。
あれだけの衝撃にも振動にも負けることなく オナカに居座っていたこの居候。

あと数ヶ月でご対面なのであるが、ふと
「いったい ナニがでてくるんだろう?」と考え込んでしまうオイラなのである。

そんなこんなで 2002年3月現在 おかげさまで母子ともに順調です!
と 言いたいのであるが 先日の検診で 陣痛とともに開いてくるという赤ちゃんの出口が
すでに1CM開いているというのだ!
安静にしてないとだめですねーとの御言葉。

なんだかもう 全部まとめてかかってこんかい!と叫びたくなるような妊婦生活。
最後までなにが起こるかわからないようである。